私の暮らしていた根室市は北海道の最東端。
海に向かって突きだした半島部分に街の中心地があります。
海の向こう側には歯舞群島や国後島などの北方領土の島がハッキリ見える環境です。
ですから、海が身近な存在で、同級生には親が漁師をやっている人がたくさんいました。
そんな場所に暮らしていた私は、冬になると母からよく「コマイ釣っといで!」といわれ、氷に明けた穴に糸を垂らし、するめを餌にしてコマイを釣って、おやつの代わりにしていました。コマイは文字どおり「氷下魚」とも書き、冬場に天日干しにして、あぶって食べるんです。
さて、北海道の大自然に囲まれ育った私も、小学校を卒業し、中学に入る頃になると、少しずつ将来のことについて考えるようになってきました。
何かわからない事があると、わかるまで知りたい!という性格は昔からで、学校から勉強しろ!と言われることには「めんどくせー!」と思いならも、毎日机に向かっていたような気がします。
自分の力で生きていくことにも興味が芽生え、早く根室を飛び出したくて、釧路にある高専を受けようとしましたが、下宿が許可されず断念。ふてくされつつも、地元の根室高校へ進みました。
私の通っていた頃の根室高校は、比較的大学進学を目指している人が多く、私も彼らに混じって勉強していました。
ところが、忘れもしない高校2年の夏。
進学先について相談した私に、母はこう返したのでした。
「うちはお金がないから、大学進学はムリ。ごめん。あきらめて」
この瞬間、私の中で「ブチっ」という音が聞こえました(笑)。
毎日毎日、先生から勉強しろ、勉強しろと言われ、高専も行けず、あげくに大学進学もダメ。
「上等じゃコリャ〜!!!」
迷うことなく根室の不良の輪に加わり、すかさずトップを取った後は、人づてに西へ!!
最後は札幌までたどり着き、ここでもスケバンのトップをつかみ取りました。
もう家には帰らん!とブヒブヒ鼻息荒く、札幌の街で日々を過ごすことに。
ここまで多分10日か2週間くらいでしょう。
札幌で不良の道を激走していたある日、ラーメン屋でラーメンを食べていたら、隣に見覚えのある親戚のおじさんが。。。
「えっ??あっ!!!」
と思う間もなく、私はおじさんに首根っこをつかまれ、そのまま根室へ強制送還されました。
家に着いたとき、目に飛び込んできたのは、母の憔悴しきった姿。
たった2週間かそこらのことでしたが、私はこんなにも母に心配をかけてしまったのか……。
母の気持ちを思うと、自分のしでかしたことが申し訳なく、そこから気持ちを一転。
進学できないなら、働く!と、就職に向かって舵を切りました。
こんな“事件”をやらかしたこともあり、てっきり北海道内での就職しか認められないだろうと思っていたところ、母はこう言ったのです。
「東京へ行け。お前の性格だったら、うまくいかないとすぐに戻ってくる。だから地続きではないところへ行け。海を渡れ。」
覚悟を決めた私は、当時まだ有名ではなかったコーセー化粧品に照準を定めます。
釧路で受けた面接が受かり、最終選考の札幌での面接に向かいます。
この時、私はヒョウ柄のスーツ、母は着物という、すごい組み合わせ。
まるでちんどん屋ですよね、まったく。
しかし、衣装のおかげで強烈なインパクトを残せたのか、北海道でわずか3人の採用内定者のうちの1人に選ばれ、ついに上京の道が開けます。
実は昔から北海道から出たいと思っていたので、内心大喜びだったのですが、ここでも母は一言。
「上京するための交通費くらい自分で何とかしな。」
ホント、洋子すごいですよね。。。
母はポーラ化粧品の販売員をやっていたので、その当時、一番安いセットを商材に、同級生の自宅を回って、お母さんたちに片っ端から買ってもらいました。
結局、クラスのほとんどのお母さんが買ってくださり、15万ほど売り上げ、それを元手に無事東京へと向かったのです。
コーセー化粧品の美容部員として採用された私の同期は約40名。全国あちこちから集まってきた新人を教育するため、上尾にある研修施設で丸1か月、みっちりと教育を受けることになっていました。
羽田空港に着いた私は、そのまま他の同期たちとともにバスに載せられ、研修施設へ向かいました。
久しぶりに見る東京の街は、北海道の景色とは大きく違い、殆どない瓦屋根や、木に実っている黄色い夏みかん、そして池袋の丸井の看板が目に飛び込んできたのをよく覚えています。
研修後は全員が大山の寮に入り、寮生活です。毎日、寮から配属先まで通勤していたのですが、東京に来たのがうれしくてたまらなかった私は、門限破りの常習犯となり、ある日、それを理由に寮内のトラブルに巻き込まれました。
寮生活になじめないところへきて、皆から総スカンをくらうような目にあった私は、やっぱり「上等じゃー!」と寮を飛び出しましたが、北海道と違って行く当てもない(笑)。
そこで、同じ根室出身の同級生の男の子のところに、事情を話して居候させてもらおうと行ってみました。
「これこれこうで、こうなって、だから、あんたのところにしばらく居候させてくれない?」
「・・・・」
腕を組みながら、静かに私の話を聞いていた彼は、口を開くとこう言いました。
「男女が一緒に住むなら、きちんとしないといけない。結婚しよう!」
あっけにとられる私が「はい」と返すなり、親に連絡しなくてはと、彼は電話をかけ、あれよあれよという間に、私は人妻となりました。